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上海暮らし

ウィリアムズの身売り話について思うところ

お前のブログはジャンルもへったくれもないなと言われそうですが、今回は、先日F1で起きた大きなニュースについてです。
ここは普段F1のことを書くことの無いブログなので、あまり詳しくない人にわかるよう書いていくつもりです。

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ウィリアムズ・ホンダ FW11B(1987年)

5月29日、F1チームの「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」が、チームの売却先を探しているとチーム発表によって明らかになりました。


ウィリアムズは1977年にパトリック・ヘッドらと設立した「プライベーター・チーム」で、設立以来フランク・ウィリアムズが40年以上、一貫して代表を務めてきました。オーナーが変わらず運営を続けてきた独立チームとしては最も古く、また80年後半から90年半ばまで数々のタイトルを手中に収めたF1を代表する名門と呼ぶにふさわしいチームです。
2013年にフランク・ウィリアムズは第一線からは身を引き、実娘のクレア・ウィリアムズが副代表に就任、フランクの後継者としてチームを率いています。

創設者で代表のフランク・ウィリアムズは86年に交通事故によって下半身麻痺(下半身麻痺とどの記事も書いてあるけど手を動かしてるところを僕は見たこと無い)となってしまうもののチームの指揮を執り続けたことで「車椅子の闘将」とも呼ばれてます。

発表によれば、株式の部分売却だけでなく、すべての売却をも視野にいれていて、チーム名が変わるだけでなく所有者がすっかり変わる可能性もあるのだとか。うまく売却先が見つからなければ撤退の可能性すらあるのかもしれません。
5/29(金) ウイリアムズがF1チームの株式売却を検討と発表
6/1(月) 約40億円の融資を調達
今日(6/1)融資先を見つけたというニュースが出ましたが、自分としては身売りの回避ではないと考えます。この40億円は当座の運営資金ではないかと。

今後のことはまだわかりませんが、創業者の系譜を継ぐ「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」は事実上終了するということはほぼ間違いなく、F1にとって、とても大きなニュースと言えます。

ウィリアムズがドライバーズ&コンストラクターズ・チャンピオンを取ったのは97年が最後。23年前です。最近はランキング最下位が続いていました。なので、驚きつつ、いよいよか、やむを得ないか、という色々入り交じった気分になります。
コロナが無ければ成績が芳しくないなりに現体制で参戦を続けていたでしょうから、彼らはコロナの被害者と言えなくもありませんが。

でも、このニュースを初めて聞いた時、フランク・ウィリアムズやクレアにはあまり同情とか労いみたいなのは湧かなかったというのが率直な感想です。申し訳ないのだけれど。

詳しい方はご存知のとおり、このチームは自分のドライバーに酷薄なことでも知られていて(ドライバーに優しいF1チームなんてそもそも存在するのかっていう問題はある)
自分が見始めた87年以降でも、87年ピケ、92年マンセル、93年プロスト、96年ヒルが、それぞれチャンピオン取った年に契約終了になっています。
例外は97年ビルヌーブだけ。
普通チャンピオンを取ったら、また来年も一緒にがんばろう、となるところをここは切ってしまう。

他にも、90年ハンガリーGPで優勝したブーツェンが表彰式をやってる最中に、フランクはピットを片付けを指示。ブーツェンが戻る頃にはピットはもぬけの殻になって、祝辞はFax一枚だったりとか。
なぜ、こんな冷たい対応を取るのか。ドライバーが嬉しい気分でいるときに冷や水を浴びせることで契約を切りやすくするためだったのでしょうか。

ビルヌーブ以降、たまに優勝争いはするもののチャンピオン争いまではいかず、最近好成績だったのは15年のマッサとボッタスのコンビでコンストラクター3位。その後成績は急降下、18年19年と2年連続でコンストラクター最下位という有様が続いています。

会社組織を長く続けるのであれば、後継者をしっかり育成するとか、他所から優秀な人を連れてくればいいのではと、経営の素人でも思うのですが、後継者に実の娘のクレアを選んだ時点で、フランクにとっては「ウィリアムズ家が運営する独立チーム」であることが最優先課題だったのかもしれません。
かつてBMWからの買収話を蹴ったりとかありましたし。メーカー資本に寄らない独立チームであることが、きっと彼らのプライドであり矜持だったのでしょう。それは理解できます。
多額の資金が必要な現代のF1では、資金をもった自動車メーカーのチーム「ワークス・チーム」でなければ勝てません。ですから、他のプライベーター・チームは、F1で生き残るためにメーカーのBチームになったり、他のお金持ち企業に売却したりしています。
ウィリアムズはそれを拒み続け「家族経営」を続ける道を選んだことで、いずれこういう結末がやってくる…。彼らも承知の上のことだったかもしれません。

フランクの、ウィリアムズF1はオレのチームだという強いこだわりは、第1期のウィリアムズ(フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ、今のチームとは別組織)がその一因があるように思えます。このチームは、結局スポンサーのウォルターウルフのものになってしまいましたから。
「オレのチーム」にこだわっているのではという仮定で考えると、あくまで最強のチームを作るのが目標なのであって、ドライバーはマシンの最後の部品だ、くらいの認識だったのでしょう。チャンピオンを取ったドライバーを放り出すのも、より強力なチームにするために、より速いドライバーに取り替えるくらいのつもりだったのかもしれません。
ドライバー同士を対等に争わせていたのもフェアプレイの精神というよりは、コンストラクターズさえ取れればよく、あとのドライバーズ選手権は好きにしろっていうフランクの意思だったとも解釈できます。
ドライバーに金を払うくらいならクルマの開発費に回した方がいいという考えだったとも雑誌で読んだ記憶があります。
だから、92年チャンピオンを取って契約金値上げを要求したマンセルを切り、いっしょにもうひとりのリカルド・パトレーゼを切りました。リカルドとてコンストラクターズ・チャンピオンに貢献したドライバーです。チャンピオンになったチームが、結果を出したドライバーをふたりとも切ってしまったんですね。
おれのクルマにはどんなドライバーだって乗りたがる、もっと強いドライバーを乗せたい、そういう心境だったのかもしれません。
そして、94年、ウィリアムズに乗りたがったセナを迎え入れたものの、3戦めのサンマリノで死なせてしまいました。フランクにとっては自らがブーツェンに浴びせた以上の冷や水だったに違いありません。
ここから闘将は、さらに自分もチームも奮い立たせ、96年にヒル、97年にビルヌーブと連続でチャンピオンを奪取しました。
時代が変わって個人チームでは歯が立たなくなったというのは正しい見方だとは思いますが、僕としては、ここでフランクは燃え尽きたように思えます。

ここまで、散々ウィリアムズについて悪態をついてきたのですが、自分はたぶんウィリアムズのファンだったんだということに今さらながらに気づきました。何言ってんだ、という感じですが。

ウィリアムズ・ホンダFW11Bは僕にとってのF1の入り口でした。僕がF1を見始めたのが87年。その時から参戦を続けているチームはフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズの3チームしかありません。
この中で個人チームはウィリアムズだけ。70年代は個人が設立したチームばかりでした。ティレルしかりブラバムしかり、はじめのころのマクラーレンしかり。そういった伝統的な意味での個人チームでウィリアムズ以上に成果を上げ長く戦い続けたチームはありません。

最盛期は過ぎてしまったとはいっても、毎年シーズンが開幕すると、このチームに注目してました。
2015年にコンストラクター3位になって今度こそは復活だと期待が膨らみました。マッサも好きなドライバーでマルティニカラーもかっこ良かったし。
ただ、最近のレースはランキング以上にクルマが遅過ぎて競技に参加できてないように見えました。
こんな体たらくであれば、かつて自分がドライバーにしたように、ウィリアムズ は自らF1を退くのがスジなのだと思います。

勝ちにこだわり、独立チームであることにこだわったウィリアムズF1チームは、現体制としては終焉を迎えそうです。
とても寂しく感じますが、F1の変わり目を象徴する出来事だとあらためて思います。


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by satsukijin | 2020-06-01 18:17 | 上海暮らし | Comments(0)

同人誌サークル「ふたつ星倶楽部」のブログです。2022年現在上海におりまして、今はいろいろ身の回りのことなどを書いています。


by Satsuki Jin